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Philip Yancey

Philip Yancey

フィリップ・ヤンシー氏は、「この驚くべき恵み」や「痛むとき、神はどこにいるのか」をはじめ、多くの著書を世に送り出しています。妻ジャネットとともに、コロラド州エバーグリーンに住んでいます。

寄稿一覧 Philip Yancey

神の御顔

作家として、ずっと痛みの問題と向き合ってきました。古傷がうずくかのように、何度も同じ疑問に引き戻されます。読者から寄せられる苦難の物語が、そうさせるのです。ある若い牧師から受けた電話を忘れることはできません。妻と赤ん坊の娘が、エイズに汚染された血液を輸血され、もう助からないといいます。彼は尋ねました。「どんな顔をして教会の青年たちに、神は愛なるお方だと言えるのでしょう。」

私は大切ですか

私はスーパーのレジに並んで、あたりを見回しました。頭を剃って鼻にピアスをした若者が、スナック菓子を選んでいます。青年実業家風の男性が、ステーキとアスパラガスとサツマイモを買っています。高齢の婦人が、桃とイチゴを見比べています。神はこれらの人々の名前をすべてご存知でしょうか。神にとって彼らは本当に大切でしょうか。

誰かを助ける

新約聖書には「キリストのからだ」という神秘的な表現が30回以上登場します。特に使徒パウロは、これを教会のイメージに使いました。イエスは天に昇られた後、ご自分の働きを、欠点だらけのドジな人たちに委任されました。ご自身は、教会の頭となられ、手や足、耳や目、声などの仕事は、私たちのような一貫性の乏しい変な弟子たちに任されました。

恐れることはない

聖書の中で天使が登場するとき、最初の言葉は大抵、「恐れるな」(ダニ10:12、19、マタ28:5、黙1:17)です。超自然的な存在との遭遇に腰が抜けるほどの恐怖を感じても無理はありませんから、当然の言葉でしょう。しかし、神は人を怖がらさないようにこの地に来られた、とルカは語ります。イエスという赤ん坊として、馬小屋に生まれ、飼い葉桶に寝かせられたのです。赤ん坊ほど怖くないものが、他にありますか。

信仰にとどまる

信仰を魔法の法則のように考える誘惑があります。一定の信仰を持っていると健康で豊かな生活が与えられ、すべての祈りも叶う…というように。しかし、人生はそう単純ではありません。その証拠にヘブル人への手紙の著者は、旧約聖書の真の信仰者たちの過酷な人生を思い出すようにと、11章で促しています。

セーフティーネット

山上の垂訓(マタイ5–7章)は、誰にも達成できない、最高水準の人間の規範だと長年考えていました。どうして私は、本当の意味を見逃していたのでしょう。イエスがこう言われたのは、私たちが挫折感を味わうためでなく、神の品性を学ぶためだったのです。

イースターの始まり

小さなことですが、イースターの物語でいつも心に留まることがあります。それは、イエスが十字架で受けた傷跡を残した身体でよみがえられたという事実です。どんな身体でよみがえるかは自由だったはずなのに、イエスは目で見たり、手で触ったりできる傷跡を残したままで、よみがえられました。なぜでしょう。

静まれ

以前は、1~2週間のうちに手紙の返事をすれば十分でした。ファックスが登場すると、2~3日でするようになりました。今日では、メールやLINE、携帯電話のせいで、その日のうちにしなくてはなりません。

上流から出発する

私の家のそばには渓谷を流れる小川がありますが、春には雪解け水などによって川と呼べるほど大きくなります。ある日、私は源流をたどって山頂の雪原に行きました。雪解け水はそこから流れ出し、他の流れと合流して、我が家の脇に来るのです。